1960年代、フランスで『テル・ケル』という前衛的雑誌に関係していた哲学・精神分析・文学などの書き手たちや評論家のロラン・バルト、哲学者のジャック・デリタによって、批評用語となった言葉である。もともとはフランス語の「writing=書くこと」という意味である。批評用語としては、書かれた文字と読者との出会いを仲介する手段=メディアという意味性に注目させるための用語という意味であった。つまり、論じる対象を把握する手段そのものを把握する試みという意味が展開し、使用範囲が広がっていた。言い換えると「作品」と「テクスト」というよりも、「作品」の概念と「テクスト」の概念の連鎖性や構造性を読み取ろうとする批評態度の言葉=文字言語という意味性のある用語を批評手法の概念化に援用しようという言葉である。したがって、この言葉をデザインの批評用語として採用する可能性は、デザイン成果である「デザイン作品」のコンセプトと、そのコンセプトの言葉を文字言語=エクリチュールと呼ぶことで、造形を包み込んでいる「かたち」と「ことば」の差異性が明白になる。それはあらためてデザイン手法を問い直すための手段、デザイン手法、特にデザイン造形の考察方法になると考えることができる。例えば、造形言語としての「かたち」とその造形を一言で語りきる文字言語として表現された「デザインコンセプト」との緊張関係を強めることができる。さらにデザイン手法を追求していく方法論の核心となる用語として適用可能であると考えている。ただし、問題は、デザインのエクリチュール、あるいはエクリチュールとしてのデザイン、という考察方法そのものに、まだ、文学や哲学さらには記号学ほどデザインがエクリチュール的な考察試論を持ち得ていないことである。それは本来のエクリチュールの役割と性質についての議論が、デザインにとって参照し引用できるほどまで語りきられていないためと推測される。ならば、デザインからエクリチュールの定義化が可能であるとさえ考えることができる。