すでに概念となった言葉と言っていいだろう。本来は巧みな技術や技能によって造作されたモノそのものや、その成果を取り囲んでいる条件の変化、つまり時代性や歴史的な技能によって、いわば他律的に定義されてきた。 言語としては中国の古典において、射(弓を射る)、卸(馬を卸す)、書(文字を書く)、数(算数)、画(絵を描く)、巧(技巧)、そして囲碁などの遊技での勝敗に関わる、広い範囲での技巧や技能に優れているということを意味していたと言われている。 そして、特にこれらの定義の中から、技巧によって工作を行う知者が創造した器物を指し、それを守り抜く技能という意味に特化していく。やがて器物だけではなく車や船にまで及んだ言葉になっていくが、これは西欧でのアート&クラフトに極めて似通っている、こうした系譜を経て、収束した意味は工作での器物制作の巧みさとなる。 器としてのコップを例に挙げると、コップの機能性や形態は、本質的にはどんな時代にあっても変容するわけではない。が、ひとたび工芸的なコップとして認識されると、その中にどれほどの美的要素があるか、まだどれほど時代的な技術や技能によって完成されたものであるかということが問われることになる。ところが、美術的な要素や技能的な要素の両者において、とりわけ美術的な完成度が、そのコップの自己完結性から分離されて価値判断がされると、それは芸術作品となる。工芸と芸術のこのような関係を考えると、芸術の一分野として工芸が成立することになる。 そこで、芸術を分明にすると、工芸とは「用」と「美」が統合された成果であり、その行為によって大枠の定義をなし得ているとみることができる。アート&クラフトという領域で、産業革命によって、人間と機械文明との隔絶性や調和性が議論され、そのあり方が問われたのと同様に、時代の中での工芸、あるいはクラフトは、デザインによって新たに工芸そのものを変革することに繋がっていくことになる。今では、工芸デザインとクラフトデザインの境界はかなり曖昧であるとさえ言える。