「超越した」「高次の」「〜の間の」という意味の接頭語である。「メタ言語」や「メタ理論」「メタメッセージ」などのようにもちいられる。ただし、この接頭語を使うことによって、定義や意図、本来の意味を恣意的に曖昧にできる便利な言葉でもある。
ここでは「メタ言語」と「メタ理論」について語りたい。まず、ある事項を1つの言語で説明しようとするとき、さらにもう1つ別の言語を用いたほうが容易であることがおおい。このもう1つの言語をメタ言語と呼ぶ。ある事項について述べる言語を対象言語、対象言語の内容について述べる言語をメタ言語というように、両者の間には、何らかの差異と区別が存在し、それは論理としての差異と区別である。これを明確化し、理論としてくみ上げたのがメタ理論である。つまり、メタ理論の価値や信憑性に対する判断は、メタ言語の中に求められる。最初にメタ言語を決定する必要があり、その決定は、対象言語を詳細に対象化したコンセプトとしての何らかの意図や恣意に基づいたものである。そこで、デザインという言語はメタ言語に含まれることになる。デザインはメタ言語の発生装置であり、価値創造装置と断言してもいいだろう。
現在、価値の多様化や、意味性の拡大、恣意性の制御に対応するために、メタを接頭語に使う事で、それぞれの価値観や意味性、恣意性を体系化する傾向がある。しかし、これは「マルチ」という接頭語であらゆるものを縫合してしまおうという、我が国の傾向としてあるような論理性とは、全く違ったものであることを明記しておかなければならない。