日本は敗戦後、「防衛」というマニフェストを最も大切にしてきた。それは戦争放棄をシンボル化する。わが国にとって重大な意味のある言葉である。この言葉に国家的言説と政策の根本がある。そして、最も議論を集中させてきた政治理念である。防衛とは外部からの攻撃に対して、防御と防護をすることであり、日本では専守防衛と限定し、その意味を強調されて使われてきた。しかし、専守防衛などは幻想であり、実質的な効果や効用があり得ないことは明らかである。それでもこの国家理念は、世界的には理想主義的な国策主張であることは間違いない。現在は、憲法9条の改正が論議を呼んでいるが、これは防衛とは何かという基本的な定義が欠落しているからである。
さて、デザインにとって、防衛という言葉とその具体的な内実は対象となるであろうか。私は、大別すれば、2つの視点で、デザイン対象としての防衛概念を決定しておくべきであろうと考えている。その2つとは、国民として、そして個人としての概念認識である。個人としては、専守防衛が幻想であっても、この理想、理念を保持し続けなければならない。しかし、国民としては、防衛の詳細の具体化をデザインにおいても議論するべきである。つまり、世界観と国家観の両方に立って、デザイン対象として、防衛とは何かを発見する必要があるということである。その根本には、平和と暴力へのデザインがある。これは、平和の防衛、防衛による平和と、暴力への防衛、防衛による暴力の全否定である。こうしたことへのデザイン表現は、すべからく、個人としてのコミュニケーションに集約する。そして、防衛とそのデザインにおいては、日本が主導役となり、デザイナーが先頭に立ってその具体的伝達の方言を目指す行動原則だと考えている。