無【The unllifying prefix mu】

  物事があるかというときに、「無い」という否定である。例えば、無免許や無資格といったことが日常的に使われる。
 その一方で、無は概念である。概念としてはとらえきれないと考えるが、西洋と東洋において、宗教的・哲学的・物理学的・数学的な観念として、あるいは概念として、それぞれの分野での意味性を持っている。正直なところ、この意味性を定義するのはあまりにも奥が深く、困難である。
  はたして、無とは何かという問いそのものは、人間の存在をさらに浮かび上がらせることでもあり、重要な思考対象になっている。西洋の代表的な哲学者たちは無を次のように定義している。キルケゴールは、神の前では不安の観念との結びつきによって、いかに人間とが小さい存在であるかと意識する人間存在のあり方を、ニーチェは、神の否定と人間を支え得る大きな観念としてのもの、ハイデッガーは、人間にとっての死の可能性の全観念を意味している。禅宗的な思想では、無とは、常に自身に問いかける姿勢の大切さと問題の解決を目指すことであり、それは経験や知識以前の純粋な意識と繋がるものである。
  デザインにおいては、無の世界観の表現や、無の思想への問いかけを、全般的に無視してきたといっても過言ではない。しかし、無心にデザインへと取り組む態度のなかに、無の状況へのアプローチがあるのではないかと私は思っている。無についてのデザイン思想は、人間存在とデザインとの関係や構造を考え出していくうえでの、重要な概念であることは間違いない。「デザインとは社会に対する態度である」とは、ラスロー・モホリ=ナギの言葉だが、この言葉の背景には、無と人間性への眼差しがあると思えてならない。   

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