産業社会では、物財の消費だけではなく、無形の財の用役をサービスと呼んでいる。よって、有形の財を生産する労働ではなくて、労役そのものが無形である場合、その労働はサービス業と規定されている。いわゆる第三次産業はサービスという労役を意味している。つまり、経済価値としての用役や使役をサービスと定義していることになる。 この言葉の原意は、古代ギリシアでの宗教用語であったと言われている。ギリシア語で、家=oikos、あるいは家に結合している人間関係や共同体は、夫婦・親子・主人と奴隷を社会生活での最小単位とし、この最小単位を譲る対象としての守護神への誓い=oikonomiaの中に、サービスという言葉が最初に登場しているという指摘がある。この指摘に基づけば、たとえこの守護神が見ていないところでも、自分を犠牲とする労役や使役を果たすこと、このいわば奉仕という概念がサービスという意味性の原意を与えていると考える。 すでに経済用語となっているサービスと宗教と宗教用語としてサービスでは、その用役対価と奉仕精神の意味性がまったく異なっている。行政サービスやボランティア活動などは、奉仕という労役である。そこであらためて、デザインとしてのサービス、あるいはサービスとしてのデザインとは、デザインが果たすべき社会的な倫理性や効用性では、宗教用語であったサービスという原意が大きなヒントを与えてくれるものと考えたい。すなわち、デザインは、たしかに有形性を創造する活動であるが、その有形性がもたらす無形の効果は、明らかに社会的な職能としてのデザインサービスと呼ぶことができる。産業または経済とデザインの関係は、サービス業としてのデザインという使役職能といえるわけだが、社会奉仕としてのデザインは、社会サービスとしてのデザインという役割をより明確にし、デザインの本質を定義づけることになるのではないだろうか。いわゆるソシオデザインとは、社会運動としての理想主義を構築する営為としてのサービスデザインであると考えたい。