野性を定義するために、まず同音語である「野生」の意味を明確にしておきたい。「野生」とは生まれたまま、本能そのままの性質で教育や制度によって何ら変化しない状況・状態を意味している。「野性」は、自然のまま、本能のままの荒っぽい性質のことである。ここでいう自然とは、生まれたままの状況という「野生」的な意味も有しているが、「野性」には、本能のままの性質が教育や制度によって、常識的な一面を獲得していくという意味もある。人間に関して言えば、本能のままの性質や状態が、そのまま保全し継続されたということは、原始時代から現代に至るまでほとんど照明は不可能である。人間の「野性」も時代によって変貌し、それは言語性と同次元であるという考え方があり、このことはクロード・レヴィ=ストロースによる『野生の思考』によって初めて明確にされた。現代における「野性」とは、遺伝子の変容、歴史的な変革、言語構造でのコンテクストの変革、自然破壊による人間の身体的な変貌などと密接に関連していると考えられる。
私は、これまでも、「野性としてのデザイン」という課題を掲げ、その具現化のために、「何が野性であるのか」を考えてきた。しかし、それは、「野性とは何か」という課題設定ではない。むしろ、自然的・人工的な環境の影響によって、「野性」が変貌してきたことを考察した上でのものである。つまり「現代性」と「野性」との関係性から考えた場合、「野性」よりも「現代性」が持つ荒々しさ、つまり現代的野性の方が問題なのである。それは、現代社会における倫理性や規範性の破壊を引き起こしているからである。デザインには、そうした荒々しさを制御する装置化が望まれているのではないかと考える。