ネオ・ダダ【Neo-Dada】

  ネオという接頭語は、「新たな」という意味で、ネオ・クラシズムや、ネオバロックなどとして表現される。そのなかで、ネオ・ダダを取り上げたい。まずダダは、第1次世界大戦中に欧米で起こった芸術運動である。ダダという言葉自体、ルーマニアの詩人丁・ツァラが無作為に辞書にナイフを突き立て、その刃先が当たったところにあった言葉とされ、フランス語では木馬を意味する。辞書から偶然に拾い上げた言葉にすぎない。つまりダダとは、大戦による不安感のなかで、合理主義文明や、戦争へと向かいつつある社会体制を完全に否定し、「何ものも意味しない」というおびただしいデモンストレーションやスキャンダルなども含めての、虚無的芸術運動であった。最終的には「白紙の状態(タブラ・ラーサ)」から、新たな創造へそれはシュルレアリスムヘと変遷していく。 そして、1958年、ニューヨークのレオ・カステリ画廊で、ジャスパー・ジョーンズとロハート・ラウシェンバーグの最初の個展が開催されたとき、「ダダの焼き直し」という、ある意味では嘲笑的な批評がアートジャーナリズムによって与えられた。ジョーンズの国旗や数字、標的などや、ラウシェンバーグのオブジェと絵の具などのコンバイン表現は、日常的な事物や事件性を視覚的にクローズアップさせるという点で、新しい表現形式ではあったが、ダダとの共通項が見られるという意味で、ネオ・ダダと呼ばれ、否定的、批判的、破壊的な精神性として国際的な芸術運動となっていった。日本でもポップ・アートの新たな社会批判精神の表現として、前衛的・先鋭的なアーティストによっては、ハプニンクやパフォーマンスという形式を用い、反社会的意図という意味性の表現へと展開された。 私は、ダダとネオ・ダダには、芸術活動の閉塞感から解放されるための要素があったと考える。そして、デザインがある閉塞状態に追い込まれたとするなら、モダンテザインからの解放、あるいは、テザインのネオ性やメタ性を、こうした芸術的な系譜を参考にし、踏襲していくことには大きな意義があるのではないだろうか。   

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