現代においては重要なキーワードとなっている。しかし,この平仮名表記の「やさしい」が、社会観念としては大きく誤用されていることを指摘しておきたい。感じで表記すれば、「優しい」と「易しい」であり、この2つには,反対の事象を意味するほどの差異や対位性がある。しかし、「やさしい」と表記することで、両方の意味を混在させ,言い逃れのための用法となったり、曖昧化することで社会規範を一方で秩序化し、反対に混乱させることにもなっている。 「優しい」とは、本来,「目立たないで、密やかに気配りをすること」「優美で風情がある」という意味を持つ。一方、「易しい」は「いとも簡単である」という意味を持っている。「易」という字は、トカゲが素早く色を変えることに由来している。「やさしい」はこのどちらの意味をも獲得しているかのように思い込ませることができる。例えば、やさしい性格というのは、「優しい性格」を意味していることは明白である。が、そこに「易しい」、つまり「容易さ」や「簡単さ」という意味があるかのごとく誤解されるということだ。 デザインに関して言えば、「やさしい」は、「優美で容易」という2つの意味を混在化できるために、ある種の社会制度論に繋がるキーワードになり得るという考え方がある。例えば、「やさしいまちづくり」や「やさしいデザイン」という表現は、これらの2つの意味を含むことで、社会的、観念的な同意の獲得が容易になっているのだと私は考える。しかし、実は、その「容易さ」を克服しなければ、デザインにおける「優美さ」を得られないことも真実である.この「優美さ」という感性的な価値は、容易く獲得はできない。このことを強く指摘しておきたい。