「チョッカン」という言い方は、現代では一般的に、「直感」と表記される。しかし、「直観」と「直感」について、その差異を考え、ここでは「直観」を定義しておきたい。「直感」とは推理・考察などによらず、感覚的にして瞬時に物事を感じ取ることである。対して、「直観」とは一般には感性的知覚である。直接的に全体および本質を掴む認識能力である。プラトンの「イデアの直観」という解釈以後、哲学上さまざまなかたちで、直観という認識論は哲学的な議論の対象になっている。 元来は、西洋思想の紹介のために、intuition(英語・仏語)の訳語として、「直覚」が当てられていた。が、次第に「直観」に変化してきたと言われている。intuitionは、「擬視する・瞑想する」という意味のラテン語、intueriに由来している。また、ドイツ語のanschauungも、「接近・接触」などを表す接頭辞anと、「意志的に見るという行為」を意味するschauenで構成されている。つまり、intuitionやanschauungも知を認識するあり方を意味している。同じく、日本語でも、推理や推測、伝聞などに一切頼らない直接知を意味している。また、一種の「勘」や「予知」なども、直観と呼ばれるが、これは知の対象への、直接的な接触によって得られたかどうかという問題をはらんでいる。これはカントによって、「直観の多様」として整理された。つまり、私たちが、完全な知識に基づくものでなく、ア・プリオリ(先天的な)な命題として、現実界の個物について何かを知ろうとする限り、直観的な認識を軽視するわけにはいかないということである。 とりわけ、デザイナーの直観は、フッサールの「本質直観」やベルクソンの「時間的な持続」を下敷きにして語ることが可能ではないかと思う。それは、言語を前提としなくても、何事かを把握できる予測能力として、その感覚を「示す」ことから「語られる」知になり得る、直接的で直裁的な知覚による認識能力であると考えられるからである。