具体や具象に相対する言葉である。具体的に実在する世界や世界観、その事物性や表象性に対して、ある性質や共通性、そして本質に着目して、それを抽出し、それだけを思考の対象とする知性の働さを 意味している。 自分を取り囲んでいる環境世界から何かを捨象して、残存する特性を選別するということは、生物一般の、どんなに下等な生物でも持っている生存するための能力である。決して人間特有のものではない。が、 とりわけ高度に発達した文節言語を持つ人間は、その文節言語を使用することによって、かなり精緻かつ複雑にさまざまなレベルでの普遍槻念までを駆使して抽象化することができる。これは、人間が具体的・ 個別的な状況から自らを引き離して、さらに自分の置かれている状況にも距離をとって、知的かつ感性的に対処することができるからではないかと考える。 抽象の能力は、人間の知性の大きな部分を占めていると言うことができる。すなわち、近代科学の発展は、この抽象という能力によって可能であったと考えることができる。例えば、数季のように、数学的記号という抽象化によって、具体的なことをより精級に認識し、積み重ねることができた。こうした抽象化思考により、具体的な世界観までを知性的な思考で解釈することができるようになった。 一方、抽象そのものを目的化するような抽象芸術は、抽象の自己目的化として、時には、警戒され批判されることになる。それは、抽象だけを目的とすることが、具体的なことに関する思考を停止させるかもしれないという警戒感や、抽象化という作業が社会的な不安を内在しているからである。そこで、具象と抽象は、知性の働きにおける理想化のための洗練された方法論やその表現においては、常に対照的かつ重要な思考、表現方法として、より注意をして対処すべきだと考える。デザインにおいては、具象も抽象もともに、思考の分類手法や表現方法から表現そのものにまで、取り込める槻念である。