実際に見たり、聞いたり、行動をしたり、という体験や、興味心を通して、蓄積されていく、あるいは記憶となっている知識や技能や思い出までを経験という。もっと哲学的に定義すれば、何らかの原因、または意識的に引き起こしたことによって、感覚にもたらされた、あくまでも主観的な判断ができる状態や意識である。 プラグマティズム的な定義としては、自己と環境との交互作用・インタラクションを通じて、感性や知性が発展していく過程全体であり、そうした仮定を通して、蓄積し温存している意識までを経験すると定義することができる。よって、自己の意識的な、知性的あるいは感性的な認識すべてが、自己形成において極めて重要視される場合には、経験主義という真理を認識するための意識力の思想となっている。例えば、考えるという行為においても、思いを深めていく意識的な洞察力を自己の中で消化していかなければならない。その基本として、自分の思い出や体験した内容が思考する仮定に影響を及ぼすことは間違いない。つまり、記憶された知識や技能は、自己の主観的な意識によって身体化できたことに他ならない。万一、自己ではなくて、他人の経験であっても、それを参照することで、自己の主観的な意識に取り入れることが可能である。それを主義とすれば、経験は自己形成の過程を位置づけてくれることになる。 デザインにおいて、ユーザーと環境、または社会性との相互性を関係づけるためには、ユーザーの意識を主観的にしていく方法論が必要とされているわけである。そこで、「経験の質(Quality of Experience)」が改めて問われることになる。どんな経験であるかということをデザインは確認していくことが重要である。すなわち、デザインの効用と効果は、新たな経験を生み出すことであり、そのためには、客観的に、自他の経験の質を再確認するというのは大きなデザイン手法になることは確実である。