マルクスの唯物史観が形成される過程を検証したフォイエルバッハによって、批判性と継承性、独自性を発展させるために使われた概念である。人間とは、常に自己と他者を意識し、その関係性のなかで生きる存在、つまり類的存在であるとした。この言葉は、現在では全く使われなくなったと言ってもいいだろう。しかし、あえて、私がこの言葉を選んだのは、人間の感性的な存在性を再定義し、さらに、デザインにとって今後とても重要になる言葉ではないかと考えたからである。人間の感性力、つまり生命力を支援する欲求・衝動・素質・能力・感覚という視点でこの言葉を再検討すれば、デザインの真の目標と目的、効用と効果、必要性と必需性が明確になると思う。人間は自己の感性的な諸能力によって、生命の発動を保全し維持しているのだと定義すれば、人間の存在そのものが、類的存在であるという認識になる。そして、その生命力=感性力が及ぼす対象に、なぜデザインという営為が不可欠であるかを、デザインの表現意図から明快にできるのではないだろうか。人間という社会的存在や、人間的存在性のアイデンティフィケーションが、感性という生命力の発動によって刺激され、その価値がデザインによって意識化されていく過程が論理化できると考える。すなわち、デザインの対象とデザイナーの自己存在が、類的存在であると簡潔に言えるのではないか。ここから、デザインという営為の社会的価値をさらに強力に訴求し、”デザイナー存在”を人間の感性的な存在性という観点から考えていくことができるのではないか。そして、人間が感性的な存在、すなわち類的存在であるからこそ、感性をさらに教育し、鍛練することで、生命力のある人間存在を創り出すことができるということになる。これは、デザインによる類的存在としての人間のあり方の根本ではないかと考える。