この言葉はルソーの『社会契約論』に最初に登場したと言われている。わが国では「興論」が当初の漢字表記であった。「興」とは、多数の人々によって広範囲に議論される課題を意味している。明治時代、本格的な政治思想を西欧から導入するに際し、世間一般が注目することを議題とするにあたって使われ始めた。第2次世界大戦後の漢字表記制限のために、「世論」という表記に変わり、Public opinionやOpinion publiqueの訳語として定着した。世論とは、社会の構成員間の、特に対立している意見や評価の、形成から変容そして消滅する過程での一般的な見解の集積だということができる。そこで、この言葉に対しては、歴史性、経験的科学性、社会心理性の3つの見方が可能であると考えられる。歴史性という観点では、古代ローマの「民の声は、神の声」や、古代中国の「人心の収攪」という言葉に通じるように、政治統治論の重要な言葉であるということができる。しかし、人心と政治とは必ずしも一致するものではないという対立項も明確になってきた。そこから、経験的科学性が求められた。フランスの社会学者、エミール・デュルケムによる、「世論の潮流」という規定概念などが、その評価軸となったこともあった。社会心理性という観点からは、情報化社会の進展によって、情報操作やマスコミュニケーションの管理運営など、世論の形成や判断においての問題点が浮き彫りになってきたといえる。とりわけ、高度資本主義、高密度情報化時代においては、世論によって、国際情勢は瞬時に変貌し、人心の多様性どころか混乱さえ生まれている状況である。世論の形成を、さまざまなメディアがオペレーションするまでになっている。
デザインは、人心への訴求がその本質であり、それが職能基盤となっている。だから、 ”人心の本音としての世論”、その復権のために、理論的な検証と実証的な追求を行い、デザインの本質的な基軸として再構築しなければならない。