医学的に言えば、意識がない状態のことであり、脳障害もしくは循環機障害が主因である、しかい、この言葉が一般的になったのは、心理学者のフロイトによる精神分析の中心的概念としてであった。フロイトによる無意識に対しては3つの解釈ができる。積極的なという意味での記述的な使い方である。積極的な使い方、非積極な意味での局所論的な使い方、消極的な意味としての力動的な使い方である。積極的な無意識とは、無意識であることをある時点では全く意識しないままの事像や行動を対象にし、後には無意識であったことを記憶に残しておくことになる。非積極的な無意識の場合は、すでに意識となってしまっていることにも気づかないまま事象や行動へと繋がっていく。消極的な無意識はどこかで自分が抑圧されていて、その抑圧の作用が自分の意識に潜んでいることをなんとか消極に知らないようにしようと言うことである。フロイトは、無意識とは、心的なものと身体的あるいは生物的なものの境界概念であると言っている。ユングは、フロイトの概念を拡大して、個人的な無意識のほかに、人類共通の普遍的・集団的な無意識を想定した。
デザインは、無論、デザインということを全く意識させない存在性に依存していることは明白である、例えば、unconscious-beautyという言葉がある。これは日常生活のなかで育まれた「匿名的なデザイン」が無意識的に、日常の用と美を完成させているという解釈が可能である。つまり、通常は無意識に過ごしていく日常生活のなかで現実性や論理性を意識的にデザインとして評価されることなく、その効用と効果が普遍化することが、デザインの最大の目標であることは確実である。デザイナーという職能には、アイディアを無意識に生み出すことが、技術として求められていると私は考える。そして、その結果であるデザインが、集団的な無意識にまで至ってくれることを望んでいる。