設計とは、物品や構築物など有形のものづくりを構想し、その形状、大きさ、素材、材料から、最終形態までを企画ではなく計画することである。機械、建築、船舶、航空機、都市や環境のあり方までが対象であり、対象に関する詳細な機能的、性能的な専門知識が要求される。しかし、設計という、手順や発想方法、構想の手続き、計画表現などは、対象物が何であれ、設計という手続きやその形式と内容の連関性には、学識となる基本的な手法があると考えられる。そこで、設計の対象が何であれ、設計そのものを知識化し学識化することを「設計学」という名の、知能的かつ知識的な学問として体系づけようという学識論である。 そこで、デザインにおける設計は、ある意味では、設計学と十分に重なり合っているが、設計学=デザインということではない。デザインはその本質的な意味では、企画と意匠という二重の意味性があり、その結果として、美学的な解決策である設計解が求められている。よって、設計学はあくまでも、技術的な設計解を求めていくエンジニアリング的な計画手法学である。それは計画としての手法論であり、さらには、手法としての計画論という、両極からの解法に至る学識化されたものにならなければならない。すなわち、デザインという設計と、設計というデザインが、それぞれデザインの設計解に美学性のあり様を意図しているかどうかが問われる。それは技術的な解決をメタ解決、さらには美学的解決にまで高次化し、解決価値を創出しているかという設計評価に関わってくると考えることができる。 デザインと設計が同一視されがちな傾向は未だに残っているが、設計学とデザインの関係が明快になれば、デザインとは、メタ設計学という美学的な設計解にいたる知能的、知識的な学識であるということである。そこには知性的な評価に止まらず、感性的な評価までが要求されているということが、より明らかになる。