ラテン語のradix=根から派生した言葉で、物事をその根本から徹底的に見直し、検証し、変革を目指す態度や行動の下意識主義のことである。英国の政治家、C.J. フォックスが自らの目指す徹底した社会変革をradical reformと呼んだことから、このような意味を持つようになったと言われている。しかし、ラディカリズムの基準は不明確である。現実には、いわゆる保守主義に対しての、社会主義であるマルクス主義やナチズム、ファシズム、さらには米国のプログレシビズムなどがラディカリズムと通称されているにすぎない。ところが、歴史的には1960年代から70年代、特に、68年のパリ革命を中心とした社会への反体制的な異議申し立ては、学問の権威主義や体制奉仕への自己反省を目指すものであり、「価値体系の解体」や「何のための知識獲得であるか」という批判的社会学や実存的社会主義を基盤に、物質的成長の神話に対する反撃や解体を主張する世界的な運動になった。この運動は今なお学識人の間では継承されているが、組織的に形成された運動には至らなかったことが悔やまれる。
デザインについて語るなら、徐々に改善や改良を社会に促していくこともデザインの役割であると考えられるが、デザインの本質は、あらゆる体制的なことを根本から変革することに集約されていることを認識しておくべきだと思う。事実、デザインの具体化による視覚的な変貌、すなわち、「造形の変貌」は感性的な価値意識そのものをも根本的に変革してしまうものである。つまり、デザインは、既存の神話性を破壊するというラディカリズムを保持しているのだと私は確信している。