一般的には、物事の基板がぐらついた、ゆらいでいるというように、何らかの危うい状況の要素ではなく、要因を意味している。そこからさら、既存の発想や、枠組み的な考え方では解決や処理できない現象のことを言う。かつての科学観では、平衡状態、つまりバランスに焦点を当て、全体のシステム的な定式化を目標としている。そうした平衡状態を混乱させ、撹乱、逸脱する、例えば雑音のようなものは、システム維持を困難にするとされてきた。つまり、科学的なシステムの価値観においては、制御や統制が当然である。しかし、非平衡系やアンバランスという視点での科学観では、ゆらぎに対して、積極的な意義や意味を見出すようになってきた。なかでも重要なのは、ゆらぎの研究によって、自然・人間・技術の構造を一新したことだと私は考える。特に、生命工学では、ゆらぎ=生きている証という定義にまで至っている。科学や技術だけではなく、社会学においても、「ゆらぎによる秩序性の構造的な解釈」が一般化しつつある。 デザインの本質的な発想も、「ゆらぎ」によって、社会的な実務性あるいは秩序性を構築することであると言える。デザインに対して、応用芸術という呼称が付いて回っていたのは、芸術の応用という言葉のなかに、社会秩序の形成を”ゆらぎ感覚”で具現化するという意味があったからではないかと考える。つまり、時代や社会における、ある種の定式化されたものから逸脱する手だてとして、「ゆらぎ」という積極的なアンバランス感覚を創出することも、デザインの本質ではないかと思う。 しかし、デザインはゆらぎを真正面から受け止める方法論を未だに見つけ出してはいない。なぜなら、技術や科学での術語としてゆらぎに対して、現状では、デザインがその距離感を見失っているからである。