この「デザインのことば」で、ユーモアを定義すること自体は、ユーモアなのだろうか?という問いかけのなかに、ユーモアの本文が宿っていると私は思う。 ラテン語の「体液」を意味するhumorから生まれた言葉である。その体液の流れが、ある種のバランスを失って人間の気質を変貌させると、「変わり者=変人」になると言われた。この「変人」という意味から、その「変人」の行為を笑うこと、そうした笑いを誘引するような喜劇や、日常会話における笑いなどが意味するようになったと言われている。日本では、英語としてこの言葉が入ってきたが、その邦訳には、「性癖」「性向」「滑稽」「詼謔」「俳趣」などがあてられていた。ユーモアとは、「滑稽さ」とともに、人間の感情におけるペーソス=悲哀や哀感など、パトス(情念)的な寛容的笑いを意味している。つまり、日常の社交的場面で、コミュニケーションをより円滑にする、「笑い」という感情や気分を誘い出す要因である。この要因の分析においては、おおよそ次の4つの定義が一般的である。(1)皮肉性=アイロニー、(2)ばからしさ=不条理感、(3)認め得る現実的な承諾感、(4)愛情が感じ取れる。 フランスの英文学者、ルイ・カザミアンは、『ユーモアの発達』を著し、後には、「なぜユーモアは定義できないか」という結論を論文としている。日本では、坪内逍遥や夏目漱石が、ユーモアに対して、文学的な解釈と表現を試みた。夏目漱石は、ユーモアは、「人格の根底から生じる味のようなものであり、やさしさに包まれた表現」と言っている。ユーモアは、その人格を包囲する文化圏によって、その表現と解釈に差異が生じることはやむを得ないと言えるだろう。しかし、ユーモアがコミュニケーションにとって、最も重大な要素であるというのであれば、デザインにとっても、「ユーモア」と「ユーザビリティ=使い勝手や相互作用性・インタラクション」の関係は、構造化して仕組まれるべき要素であることは間違いない。 おそらく、ここまでの記述に、ユーモアは皆無だったと自己評価しておきたい。