人は未来や将来がどうなっていくかという疑問を常に持っており、未来の予言・予知・予測を学術的に研究し、その成果を測ろうとしてきた。人口予測や経済予測、気象予測などがその代表例である。1960年代から、諸科学や学問の統合化によって、経済予測、あるいは技術や科学の進展の結果予測を求めようとする動きが活発になった。これを未来学と呼ぶ。60年代には、“未来はバラ色”的な傾向が強かった。しかし、70年代に入ると、いわゆる賢人会議の「ローマクラブ」によって、「成長の限界」として、地球環境破壊の進行、資源や自然素材の消滅といった警鐘が鳴らされるなど、悲劇的な予測が多く登場するようになった。
未来予測の方法や手法としては、トレッド法、デルファイ法、シミュレーションなどがある。こうした手法の運用においては、システム工学的な諸方法論が多用されている。しかし、学術的、特に工学的な方法論を、未来学者たちは用いるものの、彼らの未来に関する回答は十人十色であり、未来学への学問としての疑念はまだまだ払拭されていない。
私は、未来学とはデザインだと確信している。デザイナーという職域には、自らの直感を主体にした未来を把握するためのある種、野性的な能力が潜んでいると考えているからだ。私はこれをデザインデバネーションと呼んでいる。そして、私は未来を楽観的にも、悲観的にもとらえるべきではないと考える。つまり、西洋における「Back to the future」や、日本における「背負い水」という言葉のように、人間にとって明日がどうであるかということは、学術の大系からよりも、むしろ感覚的・直感的な世界観から感得できるものであり、これがデザインによる未来学の解釈と定義であると考える。