想像という語は古くからの慣用語であった。漠簿『楚辞』に「旧故ヲ思イテ、以テ想像ス」とあるように、思いやりや推し量ることを意味していた。日本おける西洋の哲学思想の最初の紹介者といわれている西周は、1857年に、S.ヘーブンの『心理学』を翻訳するときに「imagination」に対して「想像」を訳語として採用したと言われている。Imagination(想像)とは、心的な能力であり、対象が現前しないことから、感覚的な認識能力ではない。また、いつでも思い浮かべられるという点では、思考力とも異なる。したがって、理性的な思考と対比して、さまざまな想像力論が歴史的に展開されてきた。精神自身の理想に従った、自身の意志と創意の再現カであるという論もあれば、デカルトは純粋な知性の洞察を形象的に直観化する能力として、知性の不可欠な補助手段と見なしたし、ヒュームなどは、想像のほとばしりほど理性にとって危険なものはないと言い切った。またカントは、盲目的ではあるが、認識にとって不可欠な能力とまで規定している。さらにサルトルはその厳密な逆説的定義で、想像力とは、知覚や記憶から相対的に虚構と理解していても、現実以上の真実性を認める心理現象であるとしている。このサルトルの定義こそ、架空の観念を確信し、その確信にこだわり続けるという心理的定義になっている。想像力とは芸術活動における契機、あるいは表象であることを立証している。 これらの論からも、デザインを発想していくうえで、感性に依存しながら、知性的な統一をしていくためには、想像力が不可欠の能力であると断言できる。つまり、カント的な表現をすれば、想像力とは、感性と悟性を媒介する基本的な思考のための、 表象的な手続きの力ということができる。ただ、問題は、自身の精神や心理の中で、想像力そのものをどうやって鍛えていくか、あるいは想像力をどうやって定着させて、なおかつ、想像力が生み出した虚構性を現実化できるかということである。言い直せば、デザイナーの能力は、感性を拠り所にした想像力が基盤だと言える。