古典的には、ストア学派の定義に、その原意があると判断できる。それによれば、音声として発せられた「意味するもの」と、概念として認識された「意味されるもの」の二項から成立している。以後、アウグスティヌスによってその定義は整理される。この古典的定義を、現代の言語学的な定義も基本的に遵守している。つまり、記号の役割というのは、何かの代替物という資格を持ちながら、ある事象を喚起させることが可能となり、その結果こうした事実を表象するものであるとともに、代理や代行そして再現する意図のある言葉として考えることができる。 そこで、言葉としての記号は、「事物と名称」「観念と表象」「論理と音声」などの二項関係で定義化を試みることができる。それは、図象、指標、象徴として、事実性に対する隣接感覚で物事の意味性を捉え直すことである。ラディカルには、記号=共同幻想という定義すら可能となる。記号を対象とする研究には、記号論(semiotics)と記号学(semiologie)といういわば慣習となった呼称がある。いずれも、すでに制度内で用いられている諸記号とその指示物との関係を分析・分類する論あるいは学として、あるいは文化そのものの本質を探り出すために、その記号化の発生を遡及し解明するという2つの方向が論または学の研究対象として認識されている。 デザインにおいての記号論は、デザインする対象の意味性、つまり意味することと意味されることを、記号表現もしくは記号内容としてデザイン意図に込めることで、この恣意性がデザイン効果や効用の原則論理であることもできる。デザインによって表現することは、社会的な記号性を普及させていくことに等しいとさえ断言できる。特に、製品が記号として認識されることは、実在的な記号性、機能的な記号性、構造的な記号性、象徴的な記号性という製品の存在性を、そのままデザイン文化との関係で相互作用性として、意図表現=能記と、意図内容=所記によって所有感覚と使用感覚を確認し制御することに繋がっている。