価値は次の4つの視座から捉えることで、その意味性を求めることが可能であると考える。第一は、主体の欲求を満たすほど客体の性能そのものに基盤をおいていること。つまり、欲求とは、道徳的、芸術的、宗教的、経済的、社会的などあらゆる分野からの欲求=「望ましいことを指向する傾向」全てに、応えうる性能の程度であり、これは本来、神経性や経験性に基盤を持つことではない。 第二は、主体の欲求の相関概念にすぎず、価値ある対象そのものに内在しているとは限らない。主体が消滅すれば、対象にどれほどの価値があろうともそれを評価することすらできないということである。 第三には、主体の属性でなくて、客体の属性そのものに起因していること。価値そのものが客体やそれ自体ではなく、あくまでも属性にすぎないという事実としての性質や性能を意味している。 第四は、望ましきものというよりは、望ましさ、または、望ましさの程度を「価値がある」と判断する主体性を認知すること。すなわち、価値があるかないかを判断する主体の社会的な存在価値の認識と認知に寄りかかった判断にすぎないということである。 デザインにとって、デザイン価値は、一般的に常にほとんど「付加価値」であると認識評価されてきた。しかし、以上の4つの価値の意味基準からは、望ましいデザイン、あるいはデザインされた望ましさと欲求との相関的な概念で判断すれば、デザインを主体とするか客体とするかで、価値の発生や属性としてのデザインかどうかが問われることになる。それは、デザインの性質・性能・望ましさの程度という基準の設定を、改めてデザイン価値の体系を整備し問いかけなければならない。デザインが望ましいと指向する傾向、または、望ましいと要求されるデザインは、何が主体性であり、デザイン対象の客体にある属性を、デザインそのものが決定づけることでしかないということになる。デザイン価値とデザイン事実との関係では、決して、デザインは付加される価値ではないということは明らかである。