一般的には、住民主体の地域開発と地域つくり、新しいコミュニティーの形成運動を示している。対概念であった「むらづくり」に対する、都市機能を持つ市街地でのコミュニティの形成という意味がある。この場合には、「街づくり」という表記を用いることが多い。特に都市機能がスプロール化していく郊外地域では、住民の生活環境の改善や環境保全の運動がまちづくりと連動してきた。こうした市民運動から革新的自治体や、シビルミニマムや参加型行政という新しい概念や運動が起こった。そして一極集中を回避するためのまちづくり運動は、行政との対立や行政批判、行政監視へと繋がっている。
しかし、まちづくりの問題点は、経済的な活性化が第一の目標となっている点である。むしろ、文化の蓄積のための経済活性化を目指した市民運動や、環境保全、教育コミュニティ、安心と安全のまちづくりが、本来の目的でなければならないと考える。そして、私が最も危惧するのは、この活動の主体に、学者や建築家がそのリーダーになっている現実である。当然、街というある種の都市開発、都市計画、経済計画には専門的な知識が不可欠である。しかし、問題は2つある。まず、学者や建築家による提案が、本当に市民運動の主体になりうるのかということ。そして、市民運動の多くが背景としている政治的イデオロギーを、学者たちが机上の論理として構成しているということである。したがってこれからは、行政改革と同時に、新たな市民運動のあり方から発した議論と運動の推進と維持、活動が、まち作りの根本となる必要があると思う。そして今、デザインの導入による、新たなコミュニケーション手法の開発など、を含むまちづくり、その基礎づくりがデザインに求められている。