この言葉は洋裁の型紙という意味から、日本語になっていったように、一般的には、模様や図案という二次元的な意味が大きかった。しかし、今ではパターン認識という情報科学的な術語でもあり、文字や図形などの識別の対象を指す。もっと広義な意味では、時間的なパターンとしての音声識別などをも含み、行動のパターンなどはすでに情報科学における重要な研究課題になっている。つまり、この言葉は当初の二次元的な意味から、行動の類型、あるいはあらゆる型や形式などを統合する意味性を獲得している。デザインに関して言えば、クリストファー・アレグサンダーの著書『パタン・ランゲージ』は、建築から地域社会、都市環境の設計要素や要因を多次元的にまとめた定本と言えるだろう。 ここで、改めてパターンという言葉の再定義が重要だと考える。つまり、ある情報の要因として、要素が構造化され、その構造を成立させている構成が、すでにある型や類型に従って拡大・縮小し、そこに生じる何らかの空問性と時問性の要因を意識化できる感覚対象がパターンである、と定義できるのではないだろうか。感覚の対象として認識でき得る物事は、2つの手続きを無意識に志向している。1つは、ネットワーク構造のなかにある要因の型として構造化することである。もう1つは、シーケンス(繋がり)を生み出してくれる要因の型として構造化することである。 特に、現在では、パターン認識によって単純に理解できることがデザインの効用として評価される傾向がある。しかし本来、コミュニケーションの基本要因は、パターン認識が異なっているもの同士が、どうやって、パターンの共有化とその価値観の容認を互いにできるかということにあるわけだ。そこで、なおさら、パターンとは、要因のネットワーク構造とシーケンスの構成化であるということを定義しておきたい。デザインの手法と結果において、パターンの創出を成立させ、なおかつパターンの共有化を成功させなければならない。パターンは常にデザインにとっては、表現要因として、そのデザイン対象そのものなのである。