現在ではすべからく経済的前提としての言葉となっており、経済性の範疇での定義が当然となっている。つまり生産と消費の関係で、社会的に消費が生産を制御するような状況を流行と呼んでいる。流行は、生産と消費の関係のバランスを変動チャンスとする、社会的・文化的な動機を突き動かすチャンス論として経済学的に語られてきた。しかし、これは流行学と呼べるものではない。資本主義のなかで、広義な意味でのチャンス的生産と消費の関係論のなかに押し込められた概念にすぎない。本来は、ペストなど人類の生死に関わるような疫病が、どのように広がっていくかに関する「学の論理」が「流行学」である。これが経済、特に資本主義経済でのある種の拡大製や蔓延する状況を語るためにレトリック化されたことは忘れられている。したがって、経済学では「流行論」はあっても。「流行学」は存在しない。
特にファッションやモードにおける流行が、生産へと繋がる消費チャンスからの派生にすぎないと考察する場合には、それを裏付ける大衆的あるいは一部の社会でのチャンスを、社会生理としてちらえるようなバランス感覚が、デザインには必要不可欠である。資本主義経済下でのデザインは、常に流行と並置されてきた。流行現象による生活様式での混乱と秩序。停滞と発展、等質化と異質化といった二項対立においての、動機付けのための職能へとデザインが追いつめられていることは疑いようがない。だからこそ、デザインがそろそろ医学での拡大統計学や蔓延生理学という領域のように、真の「流行学」の基本として、改めて語り直されるべきだと指摘しておきたい。